岡本喜八トークショー
2000.06.15 (Thu)
感想を忘れぬうちに書きましょう。
ミニシアター・ラピュタ阿佐ヶ谷の地下の小さな劇場でトークショーはありました。100人限定で前売券を売ってたんですが、老若男女のお客さんで劇場の観客席はぎっしり。録音機器やビデオ、カメラなどを持ち込んでいる人もおりました。カメラマンとかも入ってました。
早い者勝ちの自由席でしたが、私はぎりぎりに着いた割に3列目あたりをげっと♪
喜八監督は小柄で黒づくめで、本等で言われてる通りの格好でした。初めてみんなの前に現れた時、こ、この方が面白い映画を一杯生み出した監督なんだ、ってドキドキしました。
参考上映後のトークショーは大まかにはjunjunさんの方で書いた通り。聞き手の石上三登志氏の上手さに一にも二にも頼ってる感じでしたが、これは別に悪い意味ではありません。
監督が話をはぐらかしたり(答えたくなくてわざとハズしてるのか、話を聞いてないのかは定かではないですが、両方の可能性がありそうでした)、ぼそぼそ答えたりする(よくマイク忘れるんだもん。肉声では3列目でも聞きにくいのに後ろじゃ全然聞こえないと思う。石上氏が時々注意してましたが、そんな監督がなんか面白かったです)のを、上手に引き取って、監督の言葉を我々にも判るように3倍位に説明をつけて解説してくれたり、のらりくらりとはぐらかしてもそこを上手く突っ込んだりして話を引き出していました。この方がいなけりゃトークショーの意味ないぞ、ってくらいで(笑)。
『どら平太』がまだ上映期間中だったので、その関係で1981年のテレビ『着ながし奉行』への言及が多くなって嬉しかったです。予定では「『肉弾』を語る」だったのが「岡本作品全般を語る」になっても、映画が普通中心になると思ったから。
石上氏も監督も『どら平太』はご覧になったようで、
「監督、どうでした?」
「まあよくできてた」
「監督の評価とか、俺ならこうするとか無いですか?」
「いや、同業者だから・・・」
石上氏は批評家(こう紹介されたんだもん)だから自分なりの評価とか自由に話してましたが、ま、監督は何も言えないでしょう。でも「(健士隊の)下っ端で出てた役所がどら平太なんて、世の中どうなるかわからんな」とか呟いて場内を爆笑の渦につつんでました。
喜八監督は、一日平均50カット位撮る人で、それはテレビ作品でも同じで、他の監督の倍くらいなんだそうです。そんな撮影方法はテレビだとハードすぎて、テレビはあんまり撮らなかったんだそうです(テレビと映画で手法を全然変えなかったということ)。
四騎の会の『どら平太』の企画自体は随分昔からあったそうです。喜八監督はその企画があることを知っていながらテレビで同じ原作のドラマ『着ながし奉行』を撮ってしまったそうです。「(どらの方は)気にならなかったんですか?」と聞かれて、「だって誰も撮らないんだもん」と答えてまた場内爆笑になりました。企画を横取りした形になってしまって、当時は色々問題があったのではないかとか思うけれど、さらっと笑いに流してしまうのが聞いていて気持ちよかったです。
石上氏は話がとっても分かりやすくて、私が岡本喜八の作品見ていて、「言葉では説明できないんだけど、なんだかすごく気持ちいいんだ!!!」って感じてたものの半分を言葉で説明してくれました。聞いてて、あーそれそれっそれなの!って溜飲が下がりました(言葉の使用法が間違っているけど、あのもどかしいのがすっきりした感じをそう表現するとこうなるの)。
石上氏の言葉をそのまま引用すると「動体つながり」ってやつ。カットのつなぎの話。机をバンと叩いた直後にドアがバンと開くのにつながる、みたいな。
それで石上氏の話の引き出し方が上手いなって思ったのは、動体つながりの多用があの喜八作品の心地よさを引き出している云々と私見を述べておられて、
「そうですよね? 監督」
「(ぼそぼそ)・・・動く物は親でも使えっていうから・・・」(爆笑)
「・・・動く物は親でも使え? ・・・ま、特に否定なさらないということはきっと当たっているんでしょう」
と繋いだこと。結局そうなると監督も認めて、少しその手法について解説をしてくださいました。聞き上手ってのはすごいもんだなーーと感服した次第。
ミニシアター・ラピュタ阿佐ヶ谷の地下の小さな劇場でトークショーはありました。100人限定で前売券を売ってたんですが、老若男女のお客さんで劇場の観客席はぎっしり。録音機器やビデオ、カメラなどを持ち込んでいる人もおりました。カメラマンとかも入ってました。
早い者勝ちの自由席でしたが、私はぎりぎりに着いた割に3列目あたりをげっと♪
喜八監督は小柄で黒づくめで、本等で言われてる通りの格好でした。初めてみんなの前に現れた時、こ、この方が面白い映画を一杯生み出した監督なんだ、ってドキドキしました。
参考上映後のトークショーは大まかにはjunjunさんの方で書いた通り。聞き手の石上三登志氏の上手さに一にも二にも頼ってる感じでしたが、これは別に悪い意味ではありません。
監督が話をはぐらかしたり(答えたくなくてわざとハズしてるのか、話を聞いてないのかは定かではないですが、両方の可能性がありそうでした)、ぼそぼそ答えたりする(よくマイク忘れるんだもん。肉声では3列目でも聞きにくいのに後ろじゃ全然聞こえないと思う。石上氏が時々注意してましたが、そんな監督がなんか面白かったです)のを、上手に引き取って、監督の言葉を我々にも判るように3倍位に説明をつけて解説してくれたり、のらりくらりとはぐらかしてもそこを上手く突っ込んだりして話を引き出していました。この方がいなけりゃトークショーの意味ないぞ、ってくらいで(笑)。
『どら平太』がまだ上映期間中だったので、その関係で1981年のテレビ『着ながし奉行』への言及が多くなって嬉しかったです。予定では「『肉弾』を語る」だったのが「岡本作品全般を語る」になっても、映画が普通中心になると思ったから。
石上氏も監督も『どら平太』はご覧になったようで、
「監督、どうでした?」
「まあよくできてた」
「監督の評価とか、俺ならこうするとか無いですか?」
「いや、同業者だから・・・」
石上氏は批評家(こう紹介されたんだもん)だから自分なりの評価とか自由に話してましたが、ま、監督は何も言えないでしょう。でも「(健士隊の)下っ端で出てた役所がどら平太なんて、世の中どうなるかわからんな」とか呟いて場内を爆笑の渦につつんでました。
喜八監督は、一日平均50カット位撮る人で、それはテレビ作品でも同じで、他の監督の倍くらいなんだそうです。そんな撮影方法はテレビだとハードすぎて、テレビはあんまり撮らなかったんだそうです(テレビと映画で手法を全然変えなかったということ)。
四騎の会の『どら平太』の企画自体は随分昔からあったそうです。喜八監督はその企画があることを知っていながらテレビで同じ原作のドラマ『着ながし奉行』を撮ってしまったそうです。「(どらの方は)気にならなかったんですか?」と聞かれて、「だって誰も撮らないんだもん」と答えてまた場内爆笑になりました。企画を横取りした形になってしまって、当時は色々問題があったのではないかとか思うけれど、さらっと笑いに流してしまうのが聞いていて気持ちよかったです。
石上氏は話がとっても分かりやすくて、私が岡本喜八の作品見ていて、「言葉では説明できないんだけど、なんだかすごく気持ちいいんだ!!!」って感じてたものの半分を言葉で説明してくれました。聞いてて、あーそれそれっそれなの!って溜飲が下がりました(言葉の使用法が間違っているけど、あのもどかしいのがすっきりした感じをそう表現するとこうなるの)。
石上氏の言葉をそのまま引用すると「動体つながり」ってやつ。カットのつなぎの話。机をバンと叩いた直後にドアがバンと開くのにつながる、みたいな。
それで石上氏の話の引き出し方が上手いなって思ったのは、動体つながりの多用があの喜八作品の心地よさを引き出している云々と私見を述べておられて、
「そうですよね? 監督」
「(ぼそぼそ)・・・動く物は親でも使えっていうから・・・」(爆笑)
「・・・動く物は親でも使え? ・・・ま、特に否定なさらないということはきっと当たっているんでしょう」
と繋いだこと。結局そうなると監督も認めて、少しその手法について解説をしてくださいました。聞き上手ってのはすごいもんだなーーと感服した次第。
※junjunさんのとこに書き込んだ内容(2000/06/05 Mon 18:20:54)
土曜日、頑張って行ってきました。
「『肉弾』を語る」筈だったのですが、行ってみたら「岡本作品全般を語る」に
変更になってました。ま、私としてはその方が良かった。
監督も一緒に『仇討・助太刀屋助六』の上映を見て、それからトークショー。
最初に「どうですか、改めて(↑を)見て」と問われて「・・・作り直したい」と
呟いた監督(笑)。でもどれもそうだって。そりゃそうだろーな、本人は。
トークショーの相手は石上三登志さんという評論家の方でしたが、この方が
上手でね。曖昧に濁したり、のらりくらりと躱し続ける監督から、上手く話を
引き出して、解説してくださいました。この方いなかったら駄目じゃんて感じ。
今『どら平太』やってるせいで『着ながし奉行』への言及が長くて、内心
すげー嬉しかった。テレビは撮影時期も短いし、流れて行っちゃう感じ、とか
言ってる割に、結構おぼえていらして、「覚えてない」「忘れた」とか言うのは
のらくら躱す一手とも見えました。
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